吉川 政雄
旅館・ホテル経営で鳥羽の観光振興を黎明期からけん引。伊勢志摩エリア初の温泉涌出に成功するなど、革新的なサービスで地域の活性化に貢献してきた。現在は旅館・ホテル経営から、リゾート施設運営、水産加工品の開発・販売、貿易まで幅広い事業を手がけるサン浦島グループの会長を務める。
昭和27年に鳥羽市浦村町で旅館を開業し、現在は『サン浦島・悠季の里』や『御宿The Earth』などを経営する
サン浦島グループの会長職に就く吉川政雄さん。
観光都市鳥羽の礎を築いた吉川さんの功績をたどりながら、鳥羽人流おもてなしの神髄に迫ります。
観光で小さな漁村を活性化したい
吉川さんが最初の旅館を開いた昭和27年は、鳥羽市が観光都市として歩みはじめた、いわば黎明期。客室数はわずか5部屋だったが、市の南部においては観光旅館のパイオニア的存在だった。
「でも、その旅館は伊勢湾台風で屋根から何からみんな吹き飛んだんですわ。それで昭和40年に少し場所を変えて次の旅館を建てたんやな。それが今の『サン浦島・悠季の里』や」
住所は鳥羽市浦村町本浦。旅館周辺には今でこそ店舗や宿泊施設が立ち並ぶが、当時は何もない野原だったという。
「友だちに土地を分けてもらって、自分で切り開いたわけや。水道も自分で引いたな」
パールロード開通前の本浦は、船でしかアクセスできない僻地だった。とても観光旅館向きとは思えない場所で開業したのはなぜだろうか。
「自分が生まれ育ったこの小さな漁村が、この先どうすれば栄えるのか考えた。それには観光が一番だと思ったんやな」
その後、何度かの増改築を経て旅館は鳥羽を代表する観光拠点へと成長。現在は長男の勝也氏がグループの社長を務めて旅館の再生や水産加工品の開発・販売も手がけるなど、事業を拡大している。
伊勢志摩初の温泉づくりに奮闘
吉川さんが旅館経営でとりわけこだわったのが温泉だ。『サン浦島(当時の名称)』で掘削工事をはじめたのは元号が平成に変わる直前、昭和63年のこと。
「当時は温泉ブームでね、若者や女性にも温泉旅館がもてはやされるようになった。でも鳥羽はおろか、伊勢志摩全体を見渡しても温泉はなかった。わざわざ来てくれるお客さんへのおもてなしになればと、自分で掘りはじめたわけや」
ところが掘れども掘れども温泉は湧いてこない。地元の地質学者には「99%温泉は出ない」と言われ、次第に周囲からも疑惑の目を向けられるようになった。
「結局、1年がかりで1000メートル掘ってようやく温泉が出た。『伊勢志摩にはじめて温泉が出た』とNHKが全国放送で取り上げてくれて、がんばりが報われた気分やったね」
吉川さんに続くように、その後、鳥羽で温泉掘削が相次ぐ。そして吉川さんの旅館では、大浴場棟や客室露天風呂を増設するなど、常に温泉でのおもてなしに磨きをかけてきた。
「鳥羽にも大きなホテルが増えたけど、うちは風呂やったらどこにも負けへんつもりでおるんや」
鳥羽の宝を味わってほしい
半世紀以上も日本全国、いや世界中からのお客さんをおもてなししてきた吉川さんから見て、鳥羽の魅力とは何だろうか。
「やっぱり海の幸やろな。特に浦村と言ったら牡蛎や。親戚が10月から3月にかけて食べ放題の牡蛎小屋をしとるけど、交通渋滞になるほどの盛況ぶりやな」
『浦村かき』といえば、近年、全国にその名が広まりつつある地域ブランドだ。
「広島にも負けん見事な牡蛎や。ほかの産地はだいたい2年かけて育てるやろ? 浦村なら米粒くらいのが、たった1年で大きな牡蛎になる」
牡蛎シーズンが終わる春以降、入れ替わるように港をにぎわす海の幸も鳥羽の宝だと吉川さんは言う。
「春から夏にかけては海女さんが活躍する季節。海女漁で採れるサザエやアワビはまさに鳥羽の宝やから、訪れたお客さんにはぜひ食べてほしいですわ」
以前、吉川さんはわれわれ取材スタッフのために鯛を釣り上げ刺身を振る舞ってくれた。鳥羽の海の幸を「食べてほしい」という気持ちが、ダイレクトに伝わるおもてなしだった。
「そりゃ、食べてほしいな。まあ、そもそもわしは、釣りや漁が好きなんや。今、事業は息子が見とるんで、しょっちゅう海に出る。海に行っとると調子がいいんでね(笑)」
お客さんに見せたくなる自然
このインタビューをした時は、ちょうど天然わかめの季節。吉川さんも近場の海で採っていて、われわれもしゃぶしゃぶをごちそうになったことがある。
「シーズンの最初は生やしゃぶしゃぶがうまいな。これからは肉厚になるので、煮物にいい。ちょうどタケノコが出てくるので若竹煮やな。ここのうまいわかめをお客さんに食べてもらいたいから、旅館でも1年中使ってますわ。わしが塩蔵してね」
いつも気さくで活気に満ちた吉川さんだが、海の話になると輪をかけてイキイキとしてくる。
「船の上から水中めがねでのぞいてね、鎌を付けた3メートルくらいの竿でわかめの根っこをきゅって切って引き上げるんですわ」
何でもこのシーズンはわかめが見事に生い茂り、近年まれに見る光景とのこと。
「一面じゅうたんを敷いたみたいにばーっとわかめ。ああいう自然の風景を見るとな、あー鳥羽に来るお客さんに見せてあげたいなと思うんや。そうや、まだ明るいし、皆さんもぜひ見てってくださいよ。案内しますわ」
船上から見たわかめの群生地は想像以上のスケールで、海中がまるで森のよう。何より、自慢の海の幸を振る舞い、労を惜しまず絶景に案内してくれる吉川さんに鳥羽人流おもてなしの神髄を見た気がした。
吉川 政雄さんのあゆみ
昭和5年 初代与之助が浦村町にて本浦今浦-鳥羽間の貨物運搬定期航路船業および日用雑貨商を営む○ヨ商店の長男として生まれる
昭和18年 太平洋戦争の最中、船舶兵として召集になり、広島県呉宇治兵役学校に入隊。船舶兵としての特殊訓練を受け、6カ月後に北海道小樽港から千島列島方面への物資輸送船団に乗組参加する
昭和20年 8月15日函館港にて終戦となり、11月に復員する
昭和22年 結婚(一男、三女に恵まれる)
昭和27年 地区内に観光旅館ホテル『浦之島荘』を建設
昭和42年 市内品暮地区に『ホテル浦島』建設 『浦之島荘』を『ホテル浦島』に改称・法人化
昭和56年 『ホテル浦島』を『サン浦島』に改称 鳥羽国際ロータリーに入会
昭和60年 温泉掘削の調査開始
昭和63年 温泉掘削工事着工
平成元年 鳥羽市で初めての温泉湧出
平成2年 株式会社サン・サービス設立
平成5年 大浴場棟『まろびね庵』工事着工
平成6年 大浴場棟『まろびね庵』オープン
平成12年 社団法人三重県食品衛生協会支部長
平成13~14年 鳥羽ロータリークラブ会長
平成14年 三重県営リゾートホテル『孫太郎』を買収
平成16年 『孫太郎』を『ホテル季の座』に改称
平成17年 厚生労働大臣表彰を受賞
吉川 政雄
旅館・ホテル経営で鳥羽の観光振興を黎明期からけん引。伊勢志摩エリア初の温泉涌出に成功するなど、革新的なサービスで地域の活性化に貢献してきた。現在は旅館・ホテル経営から、リゾート施設運営、水産加工品の開発・販売、貿易まで幅広い事業を手がけるサン浦島グループの会長を務める。